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12月6日(木)、
目白キャンパス中央教育研究棟にて
学習院アーカイブズ講演会「史資料にみる学習院の姿」が
開催されました。
講師は学習院アーカイブズ職員の桑尾光太郎さんです。

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(写真)講演の様子

講演では、
アーカイブズの仕事の話や学習院の沿革とともに、
史資料の紹介がありましたので少しご紹介致します。

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(写真)創立当時の生徒と教職員
明治10年、東京神田錦町に創立された頃の集合写真です。
玄関の軒下には【勅額「学習院」】がわずかに確認できます。
学習院は華族子女の教育を目的としながら、
士族や平民の子ども達も受け入れていました。

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(写真)初期のランドセル
学習院で生徒の通学の際にランドセル(背嚢)を
負わせるようになったのは、明治18(1885)年5月からで、
学用品携行のために背嚢を採用したのは、日本では学習院が最初でした。
陸軍の背嚢も参考にして定めたと言われているようです。

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(写真)学習院女学部の運動会
明治18年に開校した華族女学校(のち学習院女学部-女子学習院)は
体育教育を奨励し、特に運動会は一大イベントでした。
皇族や伊藤博文のような政治家も来賓として出席していました。

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(写真)第10代学習院長乃木希典の初等科生に向けた訓示
「質実剛健」を説いた乃木院長の訓示には、
その精神が色濃くあらわれています。
 ※一部抜粋
 一.口ヲ結べ、口ヲ開イテ居ルヤウナ人間ハ心ニモシマリガナイ。
 九.寒イ時ハ暑イト思ヒ、暑イ時ハ寒イト思へ。

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(写真)寮の献立
昭和3年5月の寮の献立では、
「ビーフステーキ」や「テンプラ」、「ハンバーグステーキ」など、
ご馳走が並んでいます。
間食で「カステーラ」なども出ていたんですね。
当時はただの献立表が今では貴重な資料であり興味深いですね。

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(写真)秩父宮ラグビー場の石塀
昭和20年、
青山にあった女子学習院は空襲により焼失しました。
その後、女子学習院は戸山へ移転し、
校舎の跡地は秩父宮ラグビー場に生まれ変わりました。
現在も女子学習院時代の石塀がラグビー場の敷地に残っています。

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(写真)第18代学習院院長安倍能成の書
安倍院長が学習院へ贈ったものです。
「張自由 之快翼 負責任 之重荷」(自由の快翼を張り、責任の重荷を負う)
と記され、自由とそれに伴う責任を重んじる安倍院長らしい書です。


この他にも様々な史資料があり、
他学校にないユニークな歴史を持った学習院を知ることができました。
このように史資料を振り返ることで、学習院の魅力の再発見につながります。
まだまだ、学習院には貴重な史資料が眠っており、
今後の発見が楽しみですね。

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